好きだけど

写真(カメラ)が好きでもう長いこと撮っていますが、なかなか上達しません。

久しぶりに行った角島。
こんなに綺麗には見えなかったので加工しました。
以前行ったときには綺麗に見えたのですけど。



ひとまず忙しさから開放されました。
先週末までは忙しいのと気忙しいのと両方で、落ち着きなさいよ、と自分に言わなければならない感じでしたが、過ぎてしまえばまったりしております。

あちこち書いていた日常を書かなくなったら、ここへの日常の投稿が増えてきて、これで良いのか悩み中です。創作文章の少なさがよく分かるようになってしまいましたね。とほほ。

梅雨ですが晴れです

肌断食を始めてからの経過日数を横に表示させておりますが、これはもう私にしか関係のないものです。タブレットや手帳では管理が下手なのでどうせならブログで、という怠惰な人間のなせる技です。世界中に公開して放置です。

そしてここでもご報告。結局フェイスブックでは名前だけ残して記事等は見えなくしております。タグ付けされたものを除いて。顔写真も削除しております。
アカウントを停止や削除しようと思ったのですが、メッセンジャーの連絡先に影響が出てしまい、それでしかメッセージのやり取りをしていない方もいらっしゃるのでアカウントは残しております。ただフェイスブック自体を開くことがありませんので、開店休業でございます。(辞め続けていられるかどうかはわかりません。半分仕事のようなものでしたので)

以前も書きましたが、SNSをやめると気分がラクです。現在はここのブログのみとなりました。

そしてブログの方はカテゴリの名前を変えたり、ブログの説明文を少し変えてみたりしました。昔ほどデザインに凝ったりすることもなくなりましたので、のんびりやっていこうと思っております。

写真も撮りに行きたいな。

それなりに

暇なようでいて暇がない、そんな生活をしているような気がしています。5月から6月下旬まで週末の休みは予定がぎっしり。

周囲の人の趣味に付き合ったり、旅行に行ったり、泊まり掛けで隣県まで飲みに行ったり。……泊まり掛けで飲みに行くのはご馳走になるのですが、ある種の接待のようなものです。決して怪しいものではありません。
誰に言い訳をしているのでしょうね。おかしい。

そして知人が離婚しそうだったり。

バイクで隣県まで旦那さんと泊まりでツーリングに行ったり。
数年ぶりの2人での旅行でした。

飲みに行ったときにご一緒させて頂いた女性から、

すっごいキラキラ輝いてる!
旦那さんに泣かされたことがないのよ!

と言われ思わず“そんなこと無いよ”と反論してしまって絶賛反省中。

人からどう思われてもサラッと流せるようにそろそろなりたいですね。

自分のことはともかく、人の痛みには敏感でいたいです。
 
人生でしんどい時って沢山ありますもんね。大人になってもあるんです。
大人になっても……。
子供時分には羨ましかった大人にも。

広がった世界に比例して、全てが広がるのですよね。

喜怒哀楽すべてが。

40を過ぎてきたら少しずつ、自分のために生きる時間があっても良いんじゃないかと思い始めました。

おかしいですね。

自分の時間を40年も生きてきて、まだそんな事をそんな風に思うなんて。

でも、いろんな人に振り回されて生きている人は、多いと思うから。

世の中は理不尽。でも変えられないから。

自分が変わらなきゃ。

そうやって時代は流れていくのでしょう。
考え方も、おかしな考え方がたくさん集まってしまえばそれが普通になる。

生き難いのは当たり前、そんな年のとり方をしてしまいました。

年上の方からみると、40過ぎなんてまだまだ若く悟るには早く青臭いのかもしれませんけどね。ほほほ。

それなりに、それなり。

なにが言いたいかって

 『小洒落た感』を出したくてサイト名や説明文を考えて今のものになったのだけれど、それはまあ言ってみれば自己満足なもので。いくら着飾ったとしても書いている本人はとてもズボラでいい加減な人間なので、文章だってそんなにたいしたものは書けません。書けないからたいした文章は置いていません。

 書くことが好き、読むことが好き、でもよくサボる。写真を撮ることが好き。機械的な感じがするのでカメラ本体も好き。例えば腕時計ならスケルトンで、秒針と一緒に中身がカチカチ動いているのが見えるのが好き。機械をメンテナンスしている人を見るのが好き。

 手芸には全く心惹かれず、編み物も縫い物もやる気は起きません。ボタン付けくらいしか出来ません。その昔の昔、まだテレビゲームなどない時代にはリカちゃん人形の服を祖母と一緒に手縫いしていたこともありました。バービー人形やらジェニーちゃんやらという人形遊びも一通りやった気がします。

 時代が流れていくのを覚えているのは、レコードからCDに変わったこと、500円札から500円玉になったこと。CDになってからは、カセットテープにダビングをして聞いていました。しばらくするとジュリアナなどが流行ったけれど、ちょうど社会に出た頃にはバブルも崩壊していて恩恵を受けられなかった年代です。少し上の先輩方はボーナスが多かった、なんて話をされていましたけど。

 なにが言いたいかって、どうでも良い話を書きたかっただけです。

 ついでに。若い時には放置していても問題なかったお肌が、大変なことになりつつあるので肌断食をしようかなと考えたのです。一分一秒で進んでいってそれが長い時間になると時代と言われて、いくつ通り過ぎてきたのかわからないのですけど、なんとかしたいなと思います。

 SNSをやらなくなったら少しいい気分です。

なんとなく、が良いときもある

 いつもの通勤路には毎年この時期になるとタチアオイが咲く場所がある。しかし昨年の初冬、その場所はアスファルトで整備され店舗の駐車場となったため、今年その場所でその花を見ることはなくなった。

 毎年そこのタチアオイを見ると「梅雨時期だな」と思っていたけれど、そこにタチアオイが咲いていたことさえ忘れていた今年は知る術はなかった。
 ※別の場所でタチアオイを見てすべてを思い出した

 こうしてネットをしていても天気予報は見ない。雨が降ったら降ったとき、晴れたら晴れたとき、そんな毎日を送っている。そしてテレビも見ない、ラジオも聞かない、そんなだから明日の天気がどうなのか気にもならずに生活をしてもう2年近く経つ。

 その間に老眼がこんにちはとやってきた。
 先日、指にあるものの破片が刺さった。以前なら指を目の近くに持ってくれば見えていたものが離さなければ見えない。しかし離すと小さくしか見えない。ずっとチクチクして残るのも嫌だったけれど、その場に居合わせた知り合いが取ってくれた。母親がルーペを持っていることに納得した瞬間だった。

 年をとってきてなんだかんだと全てにおいて後から後から追いつくようになった。そして追いつけないものも出てきた。そうなってくるとだんだん生活がゆるりとしたものになって行く気がしている。

 嫌なことを嫌だとようやく言えるようになってきて、触れるものをこちらから限定できるようになってきて、それでも選択肢を狭めないために程々に触れ合って、なんとなく、生きている。